2012年3月17日土曜日

稲作文化:稲



 《稲作文化
 「稲作文化

 ウィキペディア百科事典によれば

 「稲作(いなさく)は、イネ(稲)を栽培すること。

  主に主食のコメを得るため、

  北緯50°~南緯35°の範囲にある世界各地域で稲作は行われている。

  現在では、米生産の約90%をアジアが占める。

  稲の栽培には水田や畑が利用され、それぞれの環境や需要にあった稲品種を用いる。

  水田では水稲(すいとう)、

  畑地では陸稲(りくとう)・(おかぼ)とよばれる稲を使用されるが、

  生物学的な区別は特にない。

  また、初めに田畑にじかに種もみを蒔く直播(じかまき)栽培と、

  仕立てた苗を水田に植え替える苗代(なわしろ/なえしろ)栽培がある。」と書かれている。

 ※出典:Wikipedia:稲作
     
 殷や稲敷の語源が稲の語源の食物の女神・イナンナだった

 いま<イナ>とか<イナミ>とか読んでいる地名も、

 このイナンナを守り神とした農耕者たちが、

 古代の我が国にいたことが、疑いない事実。

 また印南国と書けばイナンナそのものであることもわかる。

 稲文化は非常に古く、稲敷→殷以前に我が国に到達していて、

 それがイナ、イネという日本語を生み、

 現代まで使われ続けているという歴史もわかる。

 それは、時代と、殷の地理的状況と、

 出土モミの検討から陸稲だったことは常識である。

 水稲はそれから後に入って来た。

 それを主食とする私たちの祖先は、

 どちらもこの列島の、生え抜きの土着人ではなかったことは疑いない。

 後から入って来た水稲のコースも、その名から判っている。

 それはコメという稲の別名がダブッて実在し続けているからである。

 コメは沖縄語ではクミで、その通りの名をもつ島がある。

 クミジマ=久米島

 この米は本土語ではクメと発音する。

 我が国の南西にそれを国名にしている国がある。

 <クメール>である。

 私たちからみればその国名はまさに米国(クメール)そのものである。

 沖縄のクミは鹿児島でコメと発音が変わる。

 それが全国に拡がって標準語になったのは、

 その移動拡大の事実とコースの動かぬ証拠。

 米はヨネ・ヨナとも呼ばれた。

 こちらは与那国島から沖縄県各地の与那のつく地域を経て、

 本土の米子・米原ヨネハラなどに分布している。

 これを整理すると、

 ①シュメルから陸稲

 ②クメールから水稲

 ③ギリシャ人からの高級種のヤポニカ(生物の学名はラテン語)をもつてきた。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録30:3~4頁」

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
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