2012年3月29日木曜日

スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等



 《スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等
 「スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等

 『記・紀』の崇神・垂仁、両天皇の部分に

 都怒我阿羅斯等・ツノガアラシト=角がある人=ツルカルニン

 蘇那曷叱智・ソナカシチ=牛の頭(ソノカシタ)=牛頭天王=ソナカ天皇=足仲彦(ソナカヒコ)天皇=仲哀天皇

 天の日矛(ヒホコ)(日槍)=ヒホコ→シホコ→チヒコ=天の稚彦が、

 海外からやってきたという話が編集されている。

 在来はこれらは別人扱いされてきたが、

 すべて同一人の名乗りであることは、

 すでにこの講座でよく御存知である。

 この<ソナカ>は<息長>、<足仲>と当て字されて、

 それに帯姫を加えたものは<神功皇后>の名乗りになっている。

 <姫>は漢音「キ」で沖縄大隅発音では「チ」だから

 息長之(シ)姫(キ)はソナカシチと読めるし、

 <彦>も<日木>と書くと<ヒキ>→<シチ>と読める。

 天の稚彦が

 これらの別名の持ち主=仲哀天皇で若い卑弥呼の夫だったことは動かない。

 このうちの<ツルカルニン>は間違いなくアレクサンドロス大王の称号の一つとして、

 世界に知られた名乗りである。

 都怒我阿羅斯等はそれをツヌガアル人と誤読した当て字である。

 だとすると稚彦の死後、

 弔問に現われた阿遅鉏高日子根=阿爾鉏高日子根(アレクサンドロス)の事件は、

 この大王の名乗りの後継者が2人いて、まぎらわしかったというのが、

 史実としての真相だとわかる。

 『記・紀』には欠けているが、

 その荒々しい王が「荒む王(スサノオ)」の一人であり、

 それがスサという地名から、

 「荒(すさ)む」という日本語の形容詞が生まれた可能性も示唆している。

 これらの名乗りが全て仲哀天皇のものだと判ると、

 卑弥呼の夫として、非常に貴重な発見になる。

 その系譜や事跡が合うか?相互関係を確かめてみなければならない。

 簡単に要点を挙げて比較してみよう。

   仲哀天皇      天日槍            卑弥呼       神宮皇后

 1 日本武尊の第2子  新羅王子

 2 妻 気長足姫    但馬太耳の娘・麻多烏(マタオ) 孝霊・太瓊天皇の娘 息長宿祢の娘

 3 若狭の角鹿に行事  播磨・淡路・若狭に行く    巴利国が女王国首都 三韓へも行く

 4 若狭から九州に移る 若狭から但馬に移る      (播磨は後世の巴利国人の移動先)

 (若は稚(チ)ヌ国=沖縄、狭(タンネ)・但馬(種子国(タジマ))・太瓊(タニ)は、みな種子島)

 ここで一番重要なのは、但馬太耳の娘・麻多烏である。

 卑弥呼は天照大神として宇治山田に祭られ、

 その遺跡は内山田の地名を残している。

 <麻多>は<アサダ>ではなく<ヤ>が欠けているのだから、

 <ヤ>麻多=山田。八麻多=八俣。

 残る<烏>=<オ>は、<オロチ>=大蛇の<オ>だったのである。

 八俣大蛇とは、単なる比喩ではなく、

 この名から生まれた合理的な名詞だったことがこれでわかり、

 それを討った<スサノオ>が邪馬壹国天皇・垂仁だったことも動かなくなる。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録29:12~13頁」

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
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