2012年3月10日土曜日

『卑弥呼』自分でつけた当て字



 《『卑弥呼』自分でつけた当て字
 「『卑弥呼』自分でつけた当て字

 漢訳や沖縄の対岸、呉で始まっていることも軽視できない。

 なぜなら過去に日本史学者が「世界・字宙」などと解説して来た「六合」は、

 その呉の一部が「六合県」として、今もなお古代の史実を伝えているし、

 「六合=リクアウ=陸奥=リクウ=琉球」という日本語が生み出した地名があることも

 解析ずみである。

 また卑弥呼と同時代の呉の皇帝・孫権とその父がウースン系のギリシャ人の子孫であり、

 呉孫権(ウースンキン)、呉孫竪(ウースンキン)は

 どちらもウースン公(きん)という名乗りへの

 九州語読みの当て字であり、大隅も奥州も奥村も宇佐もまた、

 このウースンへの当て字であることはすでによくご存じで、

 当時の沖縄と呉との間に、国境や国籍を考えるのは間違っているからでもある。

 視点を変えても、卑弥呼は魏への遣使に「上表(てがみ)」を持たせてやったから、

 魏帝も彼女らの「好物」が鏡だと知ったのだし、

 読めることがわかったから難しい漢文の詔書を長々と書いて寄越したのだし、

 それに対するお礼をまた倭王・卑弥呼が即座に

 「因使上表 答謝詔恩」したと明記している。

 また、卑弥呼や邪馬壹国というのは、

 中国人が我が国を軽蔑して卑しい「卑・邪」といった文字を、

 わざわざ選んで使ったのだといい、それが一般に信じられているが、

 それらの文字も皆、卑弥呼自身が使っていた文字だとはっきりわかっている。

 この卑弥呼などの文字は彼女を卑しめるために魏人がつけたものだという説は、

 古田武彦氏も

 「『三国志』の各伝において固有名詞を表記する場合、

  多く「卑字」が使われている。

  一続すれば邪、卑、奴、鬼のような、

  異様な文字が氾濫しているのにすぐ気づくだろう。

  そしてそのような使用法は

  当の「邪馬壹国」とその女王「卑弥呼」にも同じくあらわれている」と

 有名な『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社刊)に書いている。

 だが、その文字は魏人が使ったのではないという結論が、

 すでに出ていて私(加治木義博)は反対である。

 理由は「上表」には差出人の名が必要だし、

 目上に出す手紙には差出人本人が自筆でサインしなければならない。

 卑弥呼は呉の文化の系列に属しながら、

 もう一つの最先進国

 インドの高度の文化=仏教で教え導くという当時の最高の教養人で、

 当然、自分の名は自ら書く。

 また、その名の語源はパーリ語の「愛・慈悲者=ペマカ」だが、

 彼女はそれに漢字を当てる際、さらに熟考したことまでわかる。

 それはもう一つの称号、

 例の「アヴァ ロキ テスヴァラ」の、

 筆頭の「アヴァ」は「卑」という意味で、卑弥呼の頭文字に一致し、

 「ロキ テスヴァラ」は「その世人を高め栄えさせる」

 だから「弥栄(いやさか)えさせる人」

 という意味の「弥=彌と子=グァ=呼=説教者」を当てて、

 非凡な思考力を明瞭に見せているからである。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録22:7~8頁」


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